資本主義にようこそ!

「ショッピングモールは資本主義のユートピアなんです」
 ルイくんはエスカレーターの一段上で顔だけ振り向きながらそう言った。俺にはよくわからなかった。
 ルイくんの言うことはたまに脈絡がなくて、精神世界的な事柄が含まれていることが多い。だから、だいたい彼の話を黙って聞いていることしかできなかった。
 デートという名目で、ショッピングモールに来ていた。大学の最寄り駅から電車で四十分くらいの場所にある、郊外の店だ。ルイくんならもっと洗練された場所を知っていそうなのに、少し意外だった。
『……エスカレーターをご利用の際は、手すりにつかまり、黄色い線の内側にお乗りください。……』
 館内放送と人々のざわめき、無味無臭の音楽が響いている。吹き抜けの天井。大理石調の白い床と観葉植物の緑のコントラスト。デジタルサイネージに安っぽいCGが映されている。
「閉店しちゃう中古のDVD屋があるんですよ」
 ルイくんがそう言った。今日は黒いマスクを着けている。
「DVDっていうか、CDもありますけど。とにかく中古のお店です」
「へえ……」
「俺、そういうところ見るの好きなんです」
 エスカレーターの横は合わせ鏡になっていて、俺と彼の姿が延々と映っているのが見えた。それを四回繰り返して店に到着する。蛍光色で閉店セールと書かれたのぼりが、無菌的な空間の中で異質に感じた。
 とりあえず着いていく。通路に置かれたワゴンの中の商品は、セールで三百円から百円になっていた。
「あ、ゴダールの『中国女』ですよ」
 ルイくんが真っ赤な紙のパッケージを手に取る。
「ルイくんって本当に映画好きなんだね」
「好きですよ」
 いつも見せる蠱惑的な笑顔ではなく、本当に楽しそうな表情に、少しの間見入ってしまった。
 それから彼は機嫌良く棚を覗き込み始めた。いつもは破綻した性格が目に付くが、こうしてルイくんと一緒にいると、綺麗な顔立ちでいかつい格好をしているから、隣で過ごすのは少し緊張する。彼は何事にも自分の世界を強く持っていて、それはファッションにしてもそうだ。今日は厚底のスニーカーを履いていて、いつもよりさらに身長差がある。
 そんなことを考えていたら視線が合った。外でそうしているのがなんだか恥ずかしくなって、慌てて目を逸らす。
 それから二人で店内を見て回って、商品が秩序なく並べられた棚の間を抜け、フロアを適当に歩く。この階にあるのは、書店と子ども服、それからピアノ教室と、それから……。彼が言っていた意味を真に理解したわけではなかったけれど、雰囲気に合わせて歩くだけですべてを手に入れられるような気分になってくるこの場所は、確かに理想的な社会だと思った。
 カレーが食べられる店に入って昼食をとる。食後に運ばれてきたチャイが熱くて、少し冷めるのを待ちながら顔を眺めている。彼が視線に気づいてスプーンを置いた。
「どうしました?」
「いや……」
「ふふ。猫舌なんですか」
「……うん」
 そういうわけじゃなかったけど、ルイくんがそう言うから、そういうことにした。
 ルイくんは小さく笑うと、お冷を一口飲んで唇を舐めた。
「世界に俺と先輩しかいないみたいに思えてくる」
 食器の擦れ合う音や店員の声が耳に入ってきて、俺にはむしろたくさんの人間の気配が感じられる。そんなことは気にならないのだろうか。
 俺が見えている世界がルイくんと違うことに改めて気づかされる瞬間だった。そして俺は、自分が持っているものが彼に比べてあまりに少ないことも思い知るのだ。
 会計を終えてモールを後にする。常春のような気候だった店内とは異なり、目を開けていられないほど風が強く吹いていて、雲の流れは速かった。
 少し先を歩いていたルイくんが振り返って、「先輩」と俺を呼んだ。風の音にかき消されそうな音量だった。
「どうしたの?」
「手繋ぎたい」
 視線が合って、ちょっと考えてから右手を伸ばす。
「いいよ」
 優しく引き寄せられて、肩が少しぶつかってから離れる。
 指先からルイくんの体温が伝わってきて、境目が曖昧になって、俺たちは現実を生きていることがわかったからそれでいいと思った。