混ぜるな危険 - 1/2

 土曜日。後輩の部屋で、床に正座している。落ち着かない。
「先輩〜、なんでそんなところにいるんですか。こっち来てくださいよ」
 ソファに座ったルイくんが隣を叩く。逡巡の末、黙って従った。
「ほら、もっと寄らないと狭いですよ?」
「……うん……」
 言われるままに身体を寄せて、腕も引っ張られて抱きしめられるような形になってしまう。この子は本当に距離が近い。ルイくんが俺の耳元に顔を近づける。吐息がくすぐったくて背中が震えてしまった。
「ねえ、先輩? 俺ね、今すごくドキドキしてます。わかりますよね? どうしてだと思いますか?」
 なんと答えればいいのかわからず首を横に振ると、ぎゅっと強く抱き寄せられてしまう。
「ふふ。わかんないなら教えてあげましょうか?」
 そう言って彼はまた耳のすぐ近くに唇を押し当ててくる。ふーっと息を吹きかけられて、腰がびくびく震えた。
「っ……!? やめっ……」
 逃れようとしても身体を押さえつけられていてどうしようもない。
「やめませんよ……♡」
 ルイくんの囁く声が脳まで響くような錯覚を起こしておかしくなりそうだ。
「ぅあっ……やめろってば!」
 腕に力を入れて引き剥がすとようやく解放された。脱力してソファにもたれる俺を見て楽しそうに笑っている。
「あはは! 顔真っ赤ですね」
「っ……誰のせいだとっ……」
「ええ? 俺ですか? ごめんなさい」
「……」
 ルイくんは本当に反省した様子もなく、にこにこしながらこちらを見つめている。とても楽しそうだ。
 この男は、俺の……恋人。先日、手を出されてなし崩しにーー押し切られてーー付き合うことになった。棘のある表現しかできないのは、ルイくんがそうとしか形容できないような過分な無理を無邪気に押し通そうとするヤバい奴だからだ。社会性はある。……と思う。でも思い込みが激しくて、物事が自分の思い通りにいかないと泣いたり怒鳴ったりしてひどく感情的になるようだ。そして俺からのーー他人からの好意や「一番」を求めている。
 このくらいしか、彼を知らない。なのに、キスも、身体を触り合うこともしてしまった。
 今日は彼が一人で住むマンションに呼ばれていた。前回泥酔して連れ込まれた部屋だ。また変なことをされないかと、ルイくんの一挙手一投足にビビっている。
「いちゃいちゃしましょうよ、先輩」
「……」
「ね?」
 隣に座ったルイくんはそう言って俺の左手を取った。指の間に彼の白い指が入り込んできて、ぎゅうっと握られた。恋人繋ぎ。
彼に触られてあられもなく喘いでいた自分を思い出して顔がかっと熱くなった。
「……これ、恥ずかしいんだけど」
「やーですよ。離しません」
 手を握る力が少し強められる。
「俺の体温、覚えてください」
「……わかったよ……」
 諦めて握り返すと嬉しそうな顔をされた。調子が狂ってしまう。
「ねえ先輩、キスしたいです。だめ?」
 俺より身長が高いのに、器用に上目遣いで見つめられる。甘ったるい雰囲気が恥ずかしくて合わせられた視線から逃れる。
「……」
「せーんぱい」
「……ルイくんさ」
「はい」
「……俺と、ほんとにそういうことがしたいの?」
「はい。もちろん」
 即答だった。
 やっぱり即答だった。
「だって先輩のこと好きですから。もちろんエッチだけしたいわけじゃないですよ? でも」
 顎にもう片方の手を添えられて、顔を覗き込まれる。
 ピントが合わなくなって、ルイくんが近づいてきたことを理解した時には唇を奪われていた。
「ん……せんぱい……」
「ふ、ぁ……♡」
 舌先で口内を蹂躙される。
「気持ちいいですか?」
「……っ……」
「ねえ、気持ちいいって言ってくださいよ」
「っ……」
 胸を押し返した。ルイくんは意外にもあっさりと身体を離した。
 少しだけ気が緩んだのもつかの間、ルイくんの冷えた指が首筋を這った。
「っ……! な、なにっ……」
「んー、わかってるんじゃないんですか?」
「……ルイくん」
「うん♡」
 縋るように見上げる。嫌だ。また流されて、わけがわからなくなるのが怖い。恥ずかしいところを見られたくない。逃げたかったけれど、動けなかった。
「……やだ、」
「やめません」
 無慈悲に言い放ってするすると撫でる。
「先輩って肌綺麗」
「ぅあ」
 ルイくんの手に少しずつ俺の体温が移って、境界が曖昧になる。
「……誰も触ったことないんですもんね。興奮する」
 手がゆっくりと下りてきて、胸の上で止まった。どくどく動く心音が伝わってしまいそうで、強く目を瞑った。これは多分、期待なんかじゃない。
「かわいい」
 呟いて脇腹に手を滑らせた。服の上から肋骨の隙間を指でなぞられて、息が漏れる。
「っ……」
「おへそまで降りてきましたよ、先輩」
 その周りをくるりと一周されて、くすぐったくて腰を捩る。
「んー、でも、服の上からじゃよくわかんないですねえ」
 のんびりと呟いて、ぱっと手を離す。
「先輩、自分で脱ぐのと俺が脱がせてあげるの、どっちがいいですか」
 普通にどっちもやめてほしい、という懇願を込めて見上げると、何を勘違いしたのか微笑んで俺の服に手をかけてきた。
 体格差ゆえに抵抗は意味をなさなかった。べろんとスウェットが捲られる。ルイくんは何が楽しいのかにこにこと笑っていて、硬直していると、「ばんざーい」などと声をかけられて顔がかっと熱くなった。まるで俺がわがままな子どもで、言うことを聞かせるみたいな状況が恥ずかしくて、唇を噛んで言う通りにした。器用なことにもう片方の手でベルトを緩められて、いよいよ俎上の鯉だ。俯いて「やだ……」と呟く。無視された。
 ルイくんの手が下腹部に伸びて、毛の生え際あたりをくるくる撫でる。くすぐったくて思わず息を詰める。
「すぐに気持ちよくなっちゃうんですね」
「っ……ちがう……」
「違わないでしょ?」
 人差し指が鼠蹊部をなぞる。
「ひぁっ……!」
 何もないはずなのに、その皮膚の下がぞくぞくと脈打つような感覚になり、腰が揺れる。
「先輩、もっと声聞かせてください」
 そう言ってパンツに手を差し込まれた。
「……わかる? 先輩のえっちなおちんちん、俺の手の中でぴくぴく動いてるの」
「ぁ……あ……♡」
 嫌なのに強く抵抗できなかったのは、拒絶がルイくんの機嫌を損ねるのではないかという不安とーー触られて、既に反応していた羞恥によるものだった。彼の手の中で自分のものが脈打っているのがはっきりと分かる。
「どうしてほしい?」
 耳元で囁かれて、体が震えた。
「ふ……うぅ……♡」
 このままでは駄目だとわかっていた。このまま流されたら、自分が駄目になってしまう。
「お、お願いだからやめて」
 掠れた声でやっとそれだけを言う。言ってしまった。
 ルイくんは今度こそ、不愉快そうに眉根を寄せた。
「……そんなにやめたい?」
「っ……」
「俺のこと嫌い?」
「それはっ……」
「じゃあ好きですか?」
「……」
 答えられなかった。わからないからだ。
 それにルイくんはきっと、ただ寂しいだけだ。誰かに必要とされたくて、それでたまたま俺に目をつけてしまっただけなのだろう。
「……」
「……」
 空気が冷えていく。
「……何か言ってくださいよ」
「……」
 俺はどうすればルイくんとうまくやっていけるのだろう。そもそも知り合わなければ、あの日ほんの少しでも心を許さなければ、こんな息苦しい思いも、与えられる快感も知らないでいたのだろうか。
「わかってますよ。どうせ先輩は仕方なく付き合ってあげてるって思ってるんですよね。俺のことなんて別に愛してない」
「……」
「それなのにこんなふうに触れさせて、馬鹿みたい」
「っ……」
 指を裏筋につつっと沿わせながら言う。
「でも俺は先輩を肯定します。先輩が誰にも見せたことない裸も……触られてすぐ恥ずかしい反応しちゃうのも……俺が許します。全部、俺になら見せていいのに」
 何かに駆られるように早口で言って、痛みを感じるほどそこを強く握り込んだ。
「あっ!」
 身体に緊張が走って、背筋が突っ張る。
「好きでもない人に触られて恥ずかしいですか?」
「いっ、痛っ……!」
「そんな先輩も全部許します」
 俺の言葉を遮って捲し立てる。彼は俺の目を見ているようで見ていないように思えた。
「それとも本当に俺のことが好きだっていうなら、ちゃんと言ってくださいよ」
「っ、っ……!」
「好きでもない男にレイプされるのと恋人同士のセックス、どっちがいいんですか」
「……っ! ……っ、…………す、き……」
「聞こえません」
「すき……!」
「誰をですか? 具体的に」
「っ……ルイくん……」
「誰がですか」
「俺が……です」
「じゃあ証明してください」
「……どうやって……」
「キスとか?」
 そう言ってぱっと手を離した。
 俺は詰めていた息を吐き出して、浅い呼吸を繰り返した。視界が滲む。身体が呼吸に合わせて上下する。
「あ、それより」
 彼の白い手が近づいてきて思わず身体が震えた。俺の手を掴むと、自身の下腹部に誘導させる。
「俺のこと気持ちよくしてください。先輩から触ってもらったことないもん」
「……」
「できませんか?」
「っ……わかった……」
 脱げかかった自分のパンツをどうにかしてから、恐る恐るルイくんの服を寛げた。手が震える。自分以外の性器に触れたことなどもちろんなく、その生々しさに手が止まった。少し迷ったが覚悟を決めて手を伸ばす。
「っ……」
 彼が吐息を漏らす。恐る恐る触っていると、先走りが出て音を立てた。その水音が妙に大きく響いて聞こえる気がした。
「……はぁ……」
 感じ入ったような息が耳に届く。その声を聞いていると、彼にひどい目に遭わされたというのに、なんだか頭がくらくらしてくる。
「先輩、初めてなのに上手……」
 褒められた。機嫌は損ねていないようで少しほっとする。
「ん……♡」
 しばらくするとルイくんはまた鼻にかかった声を出す。指先が濡れてきて滑りが良くなる。戸惑いながら動かしているうちに、手の中で脈打つのがわかるようになってきた。
 変な気分になってきて、無意識のうちに唾を飲み込んでいた。狭いソファで密着する身体。少し息が上がって、ルイくんの呼吸音と重なる。胸がどきどきする。
「ね……もっと、」
「え……」
「はやくして……」
 言われるまま、速度を上げる。彼は身体を震わせた。
「っ、う♡」
 それからしばらくして、背中を反らして射精した。
「ふぅ……♡」
 手の中に熱い液体がかかる感触がして、慌てて手を離そうとした。しかしそれは阻まれる。
「だめですよ、そのままにしてて」
「……はい」
 ルイくんは下着を履いてソファから下り、ウェットティッシュを手に戻ってくる。
「拭いてあげます」
 そのままソファの下に跪いて、俺の手を取った。
 ざらざらした感触が指の股を這う。
 それがむずがゆいのに、頭の中は冴えていて、先程彼が言っていたことを思い出していた。
 好きの証明。
 彼は満足したのだろうか。
 終わってみれば丹念に拭き取られて、まるで何もなかったかのように元通りになっていく。
 こんなことでルイくんは、俺が自分のことを好きだと感じるんだろうか。
 幸せになるんだろうか。
 おぼえた感情は、彼から与えられた痛みへの恐怖と後悔、熱い吐息を漏らす彼に感じた興奮、それから、何か。
 言葉が輪郭を結びそうになっては千切れていく。
 ルイくんを見下ろす。ルイくんは何が楽しいのか、俺の手のひらを熱心にさすっていた。
「はい、綺麗になりましたよ」
 顔を上げて、重い前髪がさらりと揺れた。目が合うと、愛おしそうに細められた。
「……ルイくん」
「なんですか?」
「……さわって、ほしい」
 目を逸らして、でも手をぎゅっと握り返して俺は言った。
 どういう感情なのかわからない。けれど胸の内で何かが暴れて、俺にそうさせた。
「……先輩」
「……うん」
「……ベッド、行きましょうか」