いくじなし - 3/4

 スマホの充電コードを外して、コートのポケットに入れた。掃除まで済ませた部屋をもう一度見渡して、俺は家を出る。
 駅に近づくにつれ人が多くなってくる。世間は冬休みで、年末が近いからかとても賑やかだ。
 新幹線の駅で待ち合わせることになっていたため、改札を抜けて電車に乗り込む。大きな荷物を持った人が多い。久しぶりの再会という状況と、どこか落ち着かない雰囲気にあてられて、少し緊張してきた。
 新幹線と接続する駅で降りてメッセージを送る。彼ももうすぐ駅に着くようだ。
 改札口を出てすぐにある待ち合わせスポットの前に移動して、忙しなく流動する人々を眺めていた。
『着いたよ』
『ステンドグラスの前にいる』
 窮屈そうに立つ、見覚えのある顔を見つけて駆け寄る。
「きょうくん」
「おにい! 久しぶり」
「久しぶりだね。大きくなったね」
「うん、だいぶ伸びてるかも。おにいはかっこよくなった」
 記憶の中の彼より少し髪が伸びて、明るい色のそれをハーフアップにしている。大人びた外見とは裏腹に子どものように俺を呼ぶ姿は変わっていない。自然と笑みが溢れた。
「とりあえず、一旦家に荷物置いてご飯食べようか」
 杏くんは移動中東京の空気にずっとそわそわしていた。
「あのさ、おにいの部屋ってどんな感じ?」
「え? まあ、普通だよ」
「あー、なんか緊張してきた!」
「普通の部屋だって」
 身長差は縮まったものの、まだ少しだけ俺の方が背が高い。きらきらした上目遣いでまっすぐ尋ねられると、なんでもない質問なのにその勢いに少し照れくさくなる。
 駅から歩いて十分ほどのところにあるアパートに着いた。ワンルームの狭い部屋だが、ソファベッドがあるので一人を泊めるには十分だろう。
「ごめんね、座るとこなくて」
「全然そんなことないじゃん。おにいって実家にいた頃から部屋綺麗にしてるよね」
「えー、そうかな?」
「几帳面っていうか」
「別に普通だと思うけど……」
「ううん。そういうところ好き」
 さらりと放たれた言葉がきゅんと胸に刺さる。彼は昔から、こういうことを恥ずかしげもなく言う子だった。
「はいはい、荷物置いてご飯食べに行くよ。お祝いだから」
「やった」
 それから予約していた焼肉の食べ放題に行った。チェーン店なのは、俺も学生なので許してほしい。
 肉を焼きながら会話をしていると、杏くんの口数が少ないことに気づいた。
「どうしたの?」
「……おにいと喋るの、今更緊張してきちゃった。久しぶりに会ったおにい、なんかかっこよくて」
 照れたように笑う姿は、薄暗い照明の下でも眩しいくらいだ。その姿を見たら愛おしさが込み上げてくる。
「ふふ、大丈夫だよ。ほら、これ焼けたよ」
 網の上でじゅうっと音を立てる肉を見せると、杏くんの目が輝く。
 さすが男子高校生の食欲という食事を終えて、再びアパートまで歩く。途中コンビニで買い物をして、その間も会話が途切れることはなかった。

「おにい、ドライヤー借りていい?」
 シャワーを浴びた杏くんに声をかけられて顔を上げた。
「場所わかる? 気にしないで使って」
「ありがと」
 脱衣所からドライヤーの音が聞こえてきて、俺はテーブルに向き直った。
 春からの大学について、履修の方法からキャンパスの構造まで根掘り葉掘り聞かれて盛り上がった。学部は俺と違うので学内で会うことはないかもしれないけど、またこうして家に遊びに来たいとも言われて、その無垢なお願いにまたときめいた。
 俺には恋人がいないし、友達も少ない。都会にはたくさんの人間がいるのに、その繋がりは希薄だ。それが心地よくもあり、寂しくもある。
 だから、杏くんと肩が触れ合うくらい近くで会話して、心が満たされた。
 普段はオナニーで紛らわす負の感情とはまったく異なる、温もりを感じた。家族のような、友達のような時間を過ごせて良かった。
 そんなことを考えて交代で風呂に入り、部屋に戻ると、杏くんがソファベッドの前に座り込んでいた。
「きょうくん?」
 ベッドの下の収納棚が開いていた。そこにはアダルトグッズが散乱している。
「あ、あの……」
 杏くんが振り返る。
 やばい。顔から熱がさっと引いていくのを感じた。
 昨日、それらをソファベッドの下に雑に突っ込んでいたのをすっかり忘れていた。
 こみあげてくる恥ずかしさに耐えられなくて手が震えてくる。
 やばい。やばい、どうしよう。杏くんと形容したくもないグッズの形。あまりにもグロテスクな光景に頭がクラクラしてくる。
「……えっと……え……、これは……」
 とりあえず口を開くも、掠れた声しか出てこない。
「お、おにいって、彼女とかいないんだよね……?」
「あ、あ……う……」
「なんでこんなものいっぱいあるの……?」
 杏くんが膝を擦り合わせて、床の箱に当たる。ごとりと音を立てたそれに、その恥ずかしいパッケージに、杏くんの視線が落とされる。
 あああ、やめてくれ! 叫びだしたい衝動に駆られて、とにかく口を開いた。
「お……、お、俺の趣味じゃなくて……、付き合ってる……人の……、」
 必死に頭を回転させて、しどろもどろに言い訳をした。
 杏くんが目を丸くした。次の言葉が出てこない。
「……おにい、彼女いるの?」
「……うん。彼女くらいいるよ、大学生なんだし」
 嘘だ。保身のためのダサい嘘だ。責任転嫁だ。でも信じてくれたとしたら、もう触れないでくれ。忘れてくれ!
「その子の趣味っていうか。変なもの見せてごめんな」
 ダメ押しで、早口で伝える。顔を見ないようにしゃがんで、床の道具を片付けようとする。
 その手をいきなり掴まれた。
 肩が大きく跳ねてしまう。
「……何それ」
 冷えた声に心臓がずきりと音を立てる。焦って顔を上げると、感情の見えない杏くんが俺を見つめていた。
「おにいに好きな人がいるってこと?」
「え……」
「好きな人とこれ使ってそういうことしてるってこと?」
 怒ったように問い詰められる。様子が変だ。
「や、やっぱり、気持ち悪かった、」
「ずっと好きだったのに!」
 俺の言葉を遮るように杏くんが大きな声を出した。
「……え、」
「おにいのこと、好きだったのに」
 絞り出すように、苦しそうに告げられる。
 肩をぐいっと掴んで押し倒された。
「いっ、……!」
 背中をフローリングに打ち付けて呼吸が乱れる。
「おにいのことずっと好きだったのに。我慢してたのに」
「きょうくん、」
「おにいは東京で好きな人つくって、こんなエロいことしてるんだ」
 馬乗りになった杏くんが淡々と呟いて首筋に触れる。
 急所に急に触れられたことに身を硬くしていると、指先が滑っていく。
「ひっ」
 ぞわぞわとした感覚に喉が震えた。
 杏くんが、俺のことを、好き? 混乱する。
 だって、ずっと弟みたいに接してきた年下の男の子で、俺は彼の兄みたいな自負があって。ずっと一緒で、それで。家族みたいな、友達みたいな。
「……許さない」
 杏くんの顔が近づいてくる。顔の横に手をついて深く覗き込む彼の目には怯えた表情の俺が映っていた。俺を慕う彼にそんな感情を抱いたことはなかったのに、何を考えているのかわからなくて怖い。
「っ、きょうく……んむッ!?︎」
 唇を塞がれた。首をなぞっていた片手が喉をぎゅっと抑え込んで苦しい。酸素を求めて口を開くと舌が割り込んできた。ぬるりとした感触に身体が硬直する。
 俺、杏くんとキスしてる……。うそ……。キスするの、初めてなのに……。
 上顎をなぞられて吐息が漏れる。凶暴な舌がしばらく口内を蹂躙すると、やっと口が離れていった。
 荒く呼吸を繰り返して杏くんを見上げる。見たことのないような表情をしている。
「や、やめて……、きょうくん……」
「……」
 無言のまま、再び覆い被さってくる。身体に力が入らない。
「あ……」
「おにいが悪いんだよ」
 再び首に手をかけられて身体が震えた。
「今からおにいのこと、全部俺のものにするから」
 杏くんの目に、暗い欲が灯されているような気がした。