元引きこもりの弟×ブラコンの自覚がない兄。
帰宅すると、リビングで弟が寝ていた。
突っ伏したテーブルには酒の缶が乱立している。溜息をついて声をかける。
「いつき」
反応がない。骨ばった細い肩にそっと手を置いて揺すると、もぞもぞと動き始めて彼が顔を上げた。長い睫毛が伏せられた目の上で震える。
「いつき、風邪ひくぞ」
「……兄貴、おかえり」
うん、と言うと彼は緩慢に立ち上がってトイレの方向に歩いて行った。その足取りが一応しっかりしていることを見届けてテーブルに向き直る。
いつきは弟で、元引きこもりだ。
高校の途中から、二年くらい部屋に引きこもっていた。今年からアルバイトを始めるのを機に実家を出て、一人暮らしをしている俺の家に居候を始めた。彼が同居していた祖母とうまくいっていないことを知っていたから、快くそれを受け入れていた。
いつきが一番大変な時に俺は何もできなかった。だから、せめて社会復帰の一歩を側で支えたい。そう思っているのだが、二人暮らしはうまくいくことばかりではなかった。
その一つが、酒だ。いつきには気持ちが不安定な時に大量に飲酒してしまう悪癖があった。服薬している睡眠薬と併せて飲んでしまうこともある。一度倒れている彼を見つけてから、俺がいない時に酒を飲まないと約束していた。
しかし、今日は守れなかったようだ。戻ってきたいつきが、テーブルの上を片付けていた俺を見てばつの悪そうな表情を浮かべた。
「お酒、飲んじゃったの」
「……ごめん……」
「今日何かあった?」
「……何もない」
いつきは目を合わせてくれない。問い詰めるようなことはしたくなかった。
「お風呂入れる?」
「うん」
「じゃあ先に入っておいで。夕飯の準備しておくから」
小さく返事をしていつきはリビングを出ていった。俺はキッチンでストロング缶を濯ぐ。
仕事で何かあったのだろうか。いつきは俺に心を開いてくれているとは思うが、彼の気持ちをすべて知ることはできない。同居を始めて数ヶ月経つが、彼の心の負担にならないちょうどよい距離感を保てている自信はいまだなかった。
冷凍食品の餃子を焼いていると、ドライヤーの音が聞こえてきた。風呂に入ることも一苦労な場合もあるので、今日は落ち着いている方かもしれない。それならいいのだが。
出来上がった料理を盛り付けているといつきがやって来た。冷蔵庫からお茶を出して飲んでいる。食欲はありそうだ。少し気まずい空気の中、電気ポットでお湯が沸く音が鳴る。
いつきが食器や箸の配膳をしてくれた。向かい合って座り、いただきます、と言って食べ始める。風呂上がりでふわふわの頭が揺れているのを見ると安心した。すべて許せそうな気がしてしまう。
昨日よりも健康で生きてくれればいいのだ。そうでない日があってもいい。酔いが残っている様子もなかったので、俺は言いかけた言葉をしまって箸を動かした。