ウェルネス - 3/4

 退勤してスマホを見ると、いつきから不在着信があった。しかも何度も。心配になって、立ち止まって電話をかけた。
 出ない。
 不安が募る。急いで家に帰る。
「ただいま」
 一応、大きな声で呼びかける。リビングは電気が点いていない。寝室まで早足で向かって、一応ノックして開けた。
 布団がこんもりと盛り上がっている。
 近づいて覗くと、静かに寝息が聞こえてくる。
 強張っていた身体が脱力した。よかった……。
 安堵の溜息をつくと同時によくよく部屋を見渡すと、ベッドの周りに酒の空き缶や瓶が転がっているのを見つける。
 ……また一人で飲んだのか。
 音を立てないよう立ち上がる。
 また倒れていなくてよかった、と思うべきなのだろう。ゴミ袋を持って部屋に戻ると、彼は目を覚ましていた。
「あにき」
 虚ろな目がこちらを見る。
「おかえりぃ」
 酔っているのか呂律が回っていない。
「……ただいま。いつき、これ全部飲んだの?」
「あはは、そうかも」
 へらへらと笑いながら言われる。怒りたいけど、今の状態のいつきに言っても多分意味がない。言葉を選んだ末、黙って片付けを始めた。
 いつきが飲酒する時は、気持ちが落ち込んでいるか浮かれているか……落ち込むのを誤魔化したいかのどちらかで、いずれにしてもひどく不安定な時だ。
 二ヶ月前に約束を設けてから、それが破られることはなかった。しかし、今週に入ってもう二回、俺の見ていないところで飲酒している。
 やはり仕事が理由なのだろうか? 続けられているし、始めたての頃と比べて辛い話を聞く回数も減っていた。彼なりにうまくやっていると思っていたが、俺に話せない何かがあったのか。
 それとも何も原因がなくて、衝動的に不安定になってしまっているのか。この前酒を飲んでいた時も、何もなかったと言っていたはずだ。
 原因がある時は俺もそれを取り除こうと動けるが、そうでない時は側にいることくらいしかできない。何も悪いことなんてないのに辛そうないつきを見ると、その度に無力なことを思い知らされる。
「ねえ、怒らないの」
 考え込みながら手を動かしていると、いつきが寝転がったまま聞いてくる。
 自分が約束を守れなかったという理性は残っているようだ。どう答えればいいかわからず手を止めて振り返る。
「……怒ってほしい?」
「んー、俺さあ、なんか、だめなんだよね。……なにしても無駄っていうか、俺が俺である以上、ずっとだめなんだなあって思って兄貴との約束も破っちゃう」
「……」
「わかってくれなくていいから、とりあえず怒ってよ」
「……いつき、大丈夫だよ。そんなこと言わないで」
 答えになってないけれど、そう言うしかなかった。
 いつきがまっすぐ俺を見ている。いつもあまり目を合わせてくれないのに、こんな時だけ見つめてくる。
 ベッドに近づく。目にかかっている前髪を払ってそっと額に手を当てた。温もりが伝わってきて、愛おしいと思った。いつきは心地良さそうに手に擦り寄ってきて、猫みたいだった。
「……こら」
「なにそれ、怒ってるつもり?」
「だって……」
 いつきが笑う。離そうとすると、俺の手に手を重ねてきた。
「一緒にいてよ」
 甘えた口調で言われて、胸が苦しくなった。
「しよ、」
 腕を引っ張られる。
 こんなことしか、してあげられない。

 いつきと初めて身体を重ねたのは、同居を始めて一ヶ月経った頃のことだった。
 彼はまだ慣れない仕事でミスをしたらしく、ひどく落ち込んでいた。何もできない、死にたい、と涙を流す彼は実際身体を動かすことができないくらいに焦燥していた。俺はなんとかしてあげたくて、なんでもしてあげたくて、抱きしめて背中をさすったり、辛抱強く言葉をかけ続けたりしていた。その一環で、彼を風呂に入れてあげようと思った。湯に浸かって身体が温まれば、少しは穏やかになれるのではないかと俺なりに考えたのだ。もちろん了承をとってからそうした。
 服を脱がせて浴室に入れても、いつきは抵抗しなかった。シャワーをゆっくり身体に当てられる間もされるがままになっていたが、顔を上げて、「あ、」と小さく呟いた。
 彼のものがゆるく頭をもたげていた。
「あ、俺、悪い、」
 全然何も考えてなかった。仕方ないとわかっていても、成人した同性のものを目の当たりにして戸惑ってしまう。
 流石に身体は自分で洗ってもらおうと手を引っ込めると、手首を掴まれてそこに導かれた。
「え」
 顔が熱くなる。いつきの顔を見ると、濡れた前髪からこちらを見つめる目と目が合った。
「……兄貴のせいだから、責任とって」
 そう言われて、彼の欲を手で処理して、それから後は、止まらなかった。いつきは浴室で謝りながら俺を犯したが、気持ちよさそうな様子を見ると抵抗できなかった。
 身体を繋げると、心が満たされる気がする。俺を求めてくれている気がして安心する。
 それ以来、いつきを慰めるためにセックスするようになった。

 弟のベッドで、弟の性器を咥えている。いけないことだとわかっていたけど、もう頭がばかになっている。
 いつきが気持ちよくなるように、できるだけ奥まで飲み込んで頭を動かす。髪を撫でられた。
(嬉しい……)
「兄貴、きもちいい……」
「ん、うっ、っ、」
 あんなにたくさん酒を飲んだのに、ちゃんと元気になってくれている。
 ある程度勃起したそれから口を離すと、唾液と先走りが混じった液体が糸を引いた。はあ、と息を吐き出して見上げると、胡乱な表情に確かな欲が滲んでいて興奮した。
「もう挿入れたい?」
「ん……兄貴のことも気持ちよくしたい」
 首筋を指でなぞられて、甘い声が出そうになる。
「俺はっ、いいよ……!」
「だめ。二人で気持ちよくならないと……」
 制止しようとするが、いつきの指は服の上から胸元をくすぐる。中心に触られると、柔らかかったそこはすぐ硬さを持った。爪先で上下に刺激されると腰がむずむずと動いてしまう。
「や、いつき……! あっ♡」
「兄貴、服の上から触られるほうが好きだよね?」
「ん……、っ、あ、それ、だめだっ……♡」
「かわいい……」
 いつきの唇が耳に触れて、拙く食まれる。下着を下ろされると、先走りと後ろに準備していたローションが垂れていやらしい音を立てた。
 キスをする。舌を絡め合って、じゅ、と音を立てて吸う。いつきの口内は酒の味が残っていて甘かった。俺の脚を開いて、いつきが挿入しようとする。おぼつかない手つきでうまくいかないようだった。
「あ、あ……ごめ……あにき……」
「大丈夫だよ」
「うん……」
「……俺が、やるから……」
 いつきを寝転がらせて、上に跨った。おずおずと太腿を支えられる。彼のものはまだ萎えていない。ゆっくり自分の中に沈める。
「あ、あぁ、はっ……」
 先端を飲み込んで少し動かす。大丈夫そうなのを確認して深く挿入した。
「うぁ、くっ、〜〜っ……!」
 全部入ったところで、一度動きを止める。俺の中は、なんとなくいつきの形を覚えている気がしている。
「はぁ、はいった、ね……♡」
「ん……」
 目を細めて快感に耐えている表情を見ると、胸がきゅんとする。
 かわいい。俺の身体で、彼がよくなっているのが、嬉しい……。
 腰に手を回される。
「兄貴、もう動いてもいい?」
「あ……、あっ♡ あっ! あぁ……♡」
 いつきが小さく腰を揺らす。小刻みな刺激に声が漏れてしまって、我慢できない。こくこくと頷く。
 下から突き上げられると深くまで熱を感じる。肌と肌がぶつかる音が響く。角度が変わって少し浅いところを責め立てられると、前立腺が刺激されてたまらなかった。
「あぁッ♡」
「ぅあ、中ぎゅってなってやばい……♡ きもちいいんだ?」
「ん、うんっ♡ そこ、いっぱいされるの、すごい……♡」
「ふッ、あぁ……、ふぅっ、」
「っ、いつき、エッチ上手になったな……♡」
「ほんと? うれしい……♡」
 褒めると顔が綻んだ。いつきの笑顔を見ると愛おしくなる。
 頭を撫でるといつきも俺の頭に手を伸ばしてきた。お互い髪をかき混ぜるみたいにして、そして律動が再開される。
「あっ♡ あっ、あぁっ♡ あッ、」
「兄貴の声好き……、もっと聞きたい……」
「や、恥ずかしい……っ♡」
「気持ちよくなるとこ、見せて……」
「んっ♡ ううっ、あ、あッ♡ おれ、はっ♡ いいのにぃ……!」
 揺さぶられながら、必死になって答える。いつきに満足してほしいから、俺はこうしていて、それで……、
「うあッ!?」
 亀頭に触れられる。敏感な部分を指先で擦られると快感が走った。同時に奥を強く突かれて、視界がチカチカする。
「あ゛あっ♡ だめ、それっ、だめっ……!」
「はあっ、兄貴……♡」
「やだっ♡ あたまへんになる……!」
 いつきの手をどけようと伸ばした手は、逆に捕まってしまった。そのまま絡められて、突き上げられる間隔が速くなる。
「おかしくなっちゃえば、いいんだよ、兄貴も……おれもっ♡」
「お゛ッ♡ あ゛ぁっ♡ ん、うあっ♡ ひっ、ぐっ」
「っ……いきそうっ……♡」
「あ゛っ♡ あっ♡ お゛っ♡ ひっ、あ、あッ!」
 がくがくと揺さぶられて、俺も絶頂に近づいていく。ゴム越しに熱が迸るのを感じた。いつきは射精しながらもぐっ♡ ぐっ♡ と腰を奥に押し付けてきて、その度に身体の内側が痙攣してしまう。
「いくっ……♡ ぐ、ううっ♡ い、ってる……♡」
 背筋を反らせて快感から逃げようとする。気持ちいい、気持ちいい……♡
 兄であること……つまらない会社員であること……男であること……俺に名前をつけるひとつひとつの輪郭が溶けて曖昧になっていく。チカチカと発光する何かが頭を書き換える。
「はーっ……はあっ……」
 俺は走った後のように息が荒くなっていて、いつきのことしか見えていなかった。
 いつきも俺だけを見つめている。首に手を回してぎゅっと抱きついた。
 心音が聞こえてくる。この音を聞くと安心できる。
 また唇を重ね合わせて、しばらく余韻に浸っていた。