薄明は赤い呪い - 1/2

「うぅ……うぅう……」
 トイレの床に膝をついてうめき声を上げる俺と、その背中をさするルイくん。
 前略、俺はアルコールの過剰摂取によりひどい嘔気に苛まれていた。
 午後の講義が終わって帰宅したら、部屋の前の廊下にルイくんが立っていて、家ちゃんと教えたことないのに、とかなんで時間割把握してるんだ、とか言いたいことが色々あったけど、なんか一緒に酒を飲むことになってしまった。
「勝手に来てすみません。会いたかったから」
 何も言えなくて、彼が持ってきた缶に口をつけて誤魔化す。普段あまり酒を飲まないので、内心初めて飲む種類のそれに少しどきどきしていた。彼の方が年下なのに、こういう瞬間に経験の差を感じる。……例えば、行為の時も。
 数秒間のはずの沈黙がひどく長く感じる。何を話せばいいのかわからない。彼の方をちらりと見ると、目が合ってしまった。何もしていないのに目を細めて微笑まれて、胸の内にある感情が忙しく形を変えていく。絶対に俺たちに似つかわしくない甘いムードが恥ずかしくて、酒をあおった。

 そして、今。喉の奥の方までしょっぱい液体が流れてくるけれど、それを吐き出すことができない。ただ気持ち悪くて声が出てしまう。
「う……ひぐっ、うううっ……」
「我慢しないで出しちゃった方がいいですよ」
「むり……、はけない……」
 嘔吐の記憶は思い出せないほど昔に経験したものしかなくて、吐き方がわからない……。わからないから吐くのが怖い。それに、ルイくんに汚いところを見られたくない。
 しばらく背中をさすられる感覚があったが、少し離れて、後ろから覆いかぶらされるように体温を感じた。
「先輩、すみません」
 手を回したルイくんが俺の口に指を突っ込む。
「!」
 人差し指が上顎を探って奥へ進む。舌の付け根あたりを刺激されると不快感が喉を震わせた。
「うえっ、ひっ、」
 その行動に驚く間もないほどすぐに、口から液体が派手な水音を立ててびしゃびしゃと逆流する。
 鼻がつんと痛くて、目の奥が熱い。白いライトが惨状を真上から照らして、静かに絶望した。
 ルイくんの手が汚れてしまった。でもそれを気にすることができないくらい止まらない。涙が溢れてしまった。
「ごめ……うえぇ、うっ、げぇ、」
 便器に手をついて嘔吐を繰り返す。
 気持ち悪くて、情けなくて、死にたくなって、泣きながら何度も謝る。
「おえっ、うぅ……、うぅっ、うぅ……」
 片手で背中をさすられる。優しい手つきで与えられる他人の体温が、俺を余計惨めにさせる。生温かい涎が顎を伝う感触が気持ち悪かった。
 ひとしきりそれらを繰り返して落ち着くまでにはそう時間がかからなかったが、永遠にも感じるほど辛い時間だった。機械的な水流によってその痕跡がなくなっても、俺は自己嫌悪に苛まれて呆然と立ち上がることができなかった。
「……ごめん」
 やっとの思いでそう呟く。
「先輩がかわいそうであればあるほど、それを肯定する俺の魂が綺麗になっていく気がするんです」
 そう言われたけど、あまり意味はわからなかった。