Hidden Ribbon - 2/4

魔性系女装コンカフェバイト義弟×お疲れサラリーマン義兄。

 

 帰宅すると、俺のものではない靴が玄関に並んでいた。
 肩を落とす。やっぱり今日も来ているのか。
「……ただいま」
 俺が一人暮らし・・・・・をしている部屋にそう声をかけると、リビングから足音が聞こえた。
「おかえりなさーい」
 扉が開いて、当たり前のように顔を覗かせたのは義弟だった。
「侑司さん、お邪魔してます」
「凪くん……連絡入れてよ」
「えー。LINEしたんだけどお」
 凪くんは手に持ったスマホをひらひらさせる。
「今日も手伝ってほしくて」
 そう言ってずいと近づいてきた彼は、およそ非日常的な格好――メイド服を着ていた。ミニスカートから覗く脚には白いシースルーのニーハイソックス。
 俺と義弟は秘密を共有している。

 凪くんと俺が出会ったのは、三ヶ月ほど前のことだった。
 実家で暮らす父から電話があった。
『再婚を考えている人がいる』
 思い出したのは、二十年前に妻――母さんを病気で亡くして以来、俺と生活をするために仕事や家事に打ち込んでいた寡黙な父の姿だった。社会人になったことを機に俺が家を出てから、ようやく自分だけの人生を見つめられるようになったのかもしれない。そう考えると素直に嬉しかった。
 そうして指定されたホテルのラウンジで、俺は義母になる人と義弟になる人と挨拶をすることとなる。それが奏さんと凪くんだった。
 父と奏さんは、どうやら同じ境遇――病で伴侶を喪ったこと――が共通しており、通じ合ったものがあったようだ。
 奏さんは上品で優しくて、謙虚な女性だった。二十五歳と十九歳という成人を迎えた年齢である俺たちが、再婚についてどう思うかということを申し訳なさそうに気にしていた。
 俺は自立しているし、凪くんも働いている。もう子ども同士仲良くするような年齢ではないと思う。それでも俺は、いい関係を築いていけたらいいと思っていたし、それは凪くんも同じ気持ちだったのかもしれない。凪くんとはその日から連絡を取り合うようになって、今では俺が住むアパートに遊びに来るようになった。
 しかし彼は、単に仲良くなったために俺の家を訪れているわけではないと知ることになる。
「侑司さん、これ見てくれますか」
 二人で会うのにも慣れた頃、凪くんにスマホの画面を見せられた。そこには、まるでアニメのキャラクターのような、猫耳とフリルの付いたヘッドドレスを着けた女の子の自撮りが写っていた。彼が俺にこれを見せた意図がわからず写真をよく見て、――。
「……凪くん?」
 思わず口に出てはっと押さえる。しかし、特徴的な長髪に三白眼ぎみの切れ長の目。凪くんと同じ顔をした人がポーズを取っていた。
 それから打ち明けられた。凪くんが働いている飲食店というのは池袋にある女装をテーマにしたコンセプトカフェだという。
「じょ、女装?」
「うん。俺、似合うでしょ? それでフォロワーとかにも来てもらえるし、お金稼げるし。ただ母さんにはバレたくないんだよねー」
 けろりとしながら告げる凪くん。俺に見せてくれたSNSのアカウントには、同じような自撮りが載せられていた。俺にはよくわからないが、インフルエンサーとまではいかないが、ネット上の界隈(?)では注目されているようだった。
 曰く、俺にSNSアカウントに載せる写真の撮影を手伝ってほしいということだった。奏さんと暮らす家で撮影するのは奏さんにバレる可能性が高い上に、家が特定されるかもしれないなどのリスクが高いので、俺の家でやらせてほしいということだった。
 正直自分の人生に関係してくると思っていなかった世界なので驚いたが、彼が色々考えた上で俺を頼ったのであれば断る理由はない。単純かもしれないが、実の家族である奏さんにも隠していることを打ち明けてくれたのが嬉しかった。
 そして今に至る。
「侑司さん、明るさどう?」
 凪くんが真っ黒な長髪を揺らして問う。ギンガムチェックのミニスカートに甘ったるいフリル。耳の辺りでまっすぐ切り揃えられた、姫カットの横髪が輪郭にかかっている。長い睫毛に跳ね上げられたアイラインと、グレーのカラーコンタクト。
「いいと思うよ。ちょっと明るすぎるくらいかな」
 俺はスマホを通して凪くんを見つめたまま答える。
「ちょっと暗くする」
 彼が撮影用のリングライトを調節する。部屋の一角には凪くんの荷物が置かれ、すっかり彼の撮影専用スペースのようになっている。
「大丈夫だと思う」
「ん。じゃあ、撮ってね」
 凪くんがポーズを取って、とりあえず連写する。後で加工する時に選んでもらうのだ。
 凪くんは俺より背が高いのだが、線が細く痩せた身体は退廃的で美しい。かつメイクがものすごく映える。女装姿に人気があるというのは素人(?)ながら納得がいく。
「ねえ、なんか話そうよ」
「えっ、でも……」
 撮影の最中なのに邪魔にならないのだろうか。
「侑司さんのこと、もっと知りたいから」
「……終わってからね」
「はーい。ふふっ」
 楽しそうに言って、座った彼が上目遣いにこちらを見る。そこに開けられたピアスを見せつけるようにちろりと舌を出す。
 それを見ていると、なんだかいけないことをしているような気分になってきた。チープなシャッター音をけたたましく鳴らしてその姿を収める。……変な関係だ。
 それから凪くんが選んだのは、あの舌を出した写真だった。ソックスだけを脱いで、メイド服のまま脚をぶらぶらさせてベッドに腰かけている。
 少し心配になった。彼が楽しんで女装をしていることはわかるが、ちょっとセンシティブというか、自分を性的に見せることについて無防備すぎやしないだろうか。側で見ている大人として気になってしまった。
「……あのさ」
 声をかけると、凪くんはスマホを触る手を止めて顔を上げた。
「大丈夫かな」
「え、盛れてない?」
「そうじゃなくて……」
 そこで気がつく。俺は今、「エッチな写真をネットに上げるのを控えなさい」と注意しようとしている、一番キモい大人になっている……!? つまり、俺が凪くんをエッチだと思っていることになるのではないか? 何と言えばいいのかわからなくて、そこで静止してしまった。
「なに? 侑司さん」
「いや、その……」
 口ごもると、彼はベッドを降りて近づいてきた。思わず後ずさってしまう。
「なんで逃げるの」
「逃げてるわけじゃ……ないよ」
「逃げてるし」
 凪くんは俺の服の端を掴んで引き寄せた。
「今日の俺、変なところあった?」
 俺を見下ろす彼の瞳は少しだけ揺れていた。
 俺が変なことを考えたせいでナイーブな気持ちにさせてしまったのかもしれない。申し訳なくなって、俺は首を横に振る。
「ごめん、そんなことないよ」
「ならよかった」
「あの……ネットには気をつけてね」
 かろうじてそう言うと彼は笑った。
 それから目を細めて顔を近づけてきて――。
「!?」
 唇が一瞬重なった。
「な、なに……!」
 声が裏返る。
「あれ、違った?」
 上半身を反らして唇から逃れたが、いつの間にか彼の手が腰に回っていた。あまりにも近い距離に顔があって、まっすぐ見つめてくる視線に絡め取られそうになる。
「侑司さん、俺のことエっ……ロい目で見てくるじゃん♡」
 耳元で呟かれて背筋がぞくっと震えた。凪くんがくすくすと笑うと吐息がかかって、くすぐったくて変な感じがする。
「そんなことない……!」
 なんとか否定したけれど、離してくれなかった。そのままぐいっと引き寄せられてしまい、バランスを崩して彼の胸に倒れ込む。耳に熱い息がかかって食まれた。
「ふあっ……!? こらっ、何してるの……!」
 身を捩って抵抗するが、凪くんの力が思っている以上に強くて身動きが取れない。
「ねえ、こういうことするのってどう思う?」
 彼は俺の手を取って自分の下腹部に押し付ける。肩が大げさなほどに跳ねる。そこには布越しだがはっきりとした膨らみがある。反射的に手を引っ込めようとするが、強く掴んで離さない。
(どうって、何が……!)
「触ってみてよ」
「や……」
「ねえ」
 俺が凪くんに向ける視線には、彼が言うようないやらしい意味なんて込めていなかった。けれど、雰囲気にあてられて、体温が高められていくような気分になる。
「お願い」
 彼はエプロンとギンガムチェックのスカートをたくし上げる。その下は無地のボクサーパンツだ。フリルのついた服と男物の下着のギャップに思わず目を奪われる。
 指先が熱い塊に触れて肩が跳ねた。喉の奥で悲鳴に似た息が漏れる。
「わかる? 俺、ちゃんと男だから、俺より弱くてびくびくしてる侑司さん見たら興奮しちゃうんだよ」
 そこはほんの少しだけ固くなっていて、よく知った感触をしていた。俺は混乱で渋滞する頭を絞り出すようにして何かを言おうとしたが、言葉は出てこなかった。
「俺のことエッチだって思ってたんでしょ。違うの?」
「ちが……うぅ……」
 否定したいのに、声にならない。恥ずかしいのか、怖いのか、頭がパニックで静止してしまってわからない。凪くんはいっそう強く熱を押し付けてきた。
「ほら、ちゃんと触って?」
 俺の手に手を重ねて、包み込むように強引に竿に触れさせる。手が滑って先端の感触が伝わって、顔に血が集まるのを感じた。
「うぁっ、やぁ……!」
「かわいい」
 凪くんはそのまま俺の手を使って自慰を始める。俺の手に擦り付けるように腰を動かしてくるので、指の股をぬめったものが通って変な感覚が込み上げてくる。
「やだっ、やめて……! だめだよっ……」
「えー、侑司さんのせいなんだから」
 訴えても、彼は俺の手を離さない。
 どんどん心臓がどきどきと音を立てて速くなる。息を詰めて、目が離せなかった。
「ふーっ……、これ以上は汚れちゃうから終わりね」
 凪くんはそう言って急に手を離した。
「っ……!」
 突然自由になって呆然としている俺をよそに、彼はさっさとパンツを上げて服を整える。
 彼の昂ぶった熱がまだ手に残っているような感覚があって、俺はへなへなとフローリングの床にへたり込んでしまった。
「ごめん、やりすぎちゃった」
 しゃがみ込んだ俺に合わせて彼も膝をついた。顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?」
 なんでそんなに、いつも通りみたいな声色なんだ。
「怒った?」
 怒っているわけじゃない。多分。いや、怒っているのかもしれない。義弟の性器を触ってしまった、いや触らされた? という現実に思考が追いついていない。
「凪くん、何考えてるの……」
 やっとの思いで問うと、凪くんは綺麗な顔で場にそぐわないくらいにっこりと笑う。
「俺のこと、これから意識してくれればいいかなって」
「……?」
「好きだよ、侑司さん」
俺の目を見て、はっきりとした口調で言った。
「え……?」
「また続きしようね」
 そう言ってさっさと立ち上がって、部屋のティッシュを勝手に使って自分の手についたものを拭き取った。そして「シャワー借りるね」と言って部屋を出て行ってしまった。
「待っ……」
 声をかけるが、既に返事はない。
「嘘でしょ……」
 告白されてしまった……。しかもきっと、いや絶対に本気だ。
 あんな風に言われてしまったら、もう今までのように接することが難しくなってしまう。
 俺は頭を抱えたい心地で、しばらくその場から動けなかった。