ワンナイト・アルカホリック - 2/3

嘔吐フェチだったワンナイト相手×プレイを強いられるサラリーマン。

 

 月末、金曜日、二十一時。いわゆる華金で、繁華街の夜の顔はまだまだ始まったばかりだった。ワイシャツ姿のサラリーマンたちがわははと大きな声を上げながら歩いていく。
 俺もその中の一人、のはずだった。
 スーツの背中を丸めて、口元に手を当てながらいつもよりゆっくり、胃の中がなるべく揺れないように歩く。
 酔っていて超絶気持ち悪い。
 さっきまでこの会社に月初に転職した俺の歓迎会に参加していたのだが、運が良いのか悪いのか、先週俺の誕生日があったことが露呈すると本日の主役と言わんばかりにめちゃくちゃ飲まされてしまった。タクシーで帰っていくご機嫌な上司を見送って解散してからは、駅に向かってこんな調子で歩いていた。
 眼鏡をかけた居酒屋のキャッチ、ツインテールのコンカフェのキャッチ、電子タバコを吸いながらコンビニの前で談笑している若者。猥雑なこの通りを抜ければ地下鉄の駅までもうすぐだ。が、向かいから歩いてきた集団にぶつかりそうになって避けると、そのまま足元がふらついて思わず道端でうずくまってしまった。
 折り曲げた脚で圧迫されて、お腹の上の方から胃液がせり上がってくるのを感じる。
 口の中がしょっぱくて頭ががんがんして今すぐ吐きそうだ。家まで持つかわからない。
 俺もタクシーを呼ぶか? 正直待つ間に吐かないでいられるか自信がなかった。全身がどんどん焦りと吐き気に飲み込まれていく。
 俺を避けて追い越していく脚ばかりが映る視界の中、目の前にバレンシアガの爪先が立ち止まる。顔を上げようとして喉の奥が震えた。再び俯く。
「おにーさん、大丈夫ですか?」
 俺に声をかけているのか、頭上から響くその声が近くなって、手が差し伸べられる。シルバーのアクセサリーがごちゃごちゃと嵌められて、痩せてごつごつした手だ。すがるような気持ちで顔を上げると——そこで限界が来てしまった。
 酸っぱい臭気と居酒屋で食べた串カツの油と四杯目から数えるのをやめたレモンサワーが胃の中で決壊する。
「え!? うわ、ちょっと!」
 慌てたような男の声を聞きながら、俺はそこにすべてをぶちまけた。
 そして、暗転——。

 目が覚めると知らない天井だった。
 というお決まりのようなシチュエーションでもとんでもない頭痛に襲われて、俺はさっきまでの現実との連続を感じる。
 顔をしかめながら部屋を見回すと、そこはシックな模様が入った壁紙に家具がしつらえられた、ホテルの一室のようだった。
「あ、起きました?」
 落ち着いた内装の中で一番に目を引いた、ピンクがかった派手な髪の若い男。漫画に出てくるようなタオル地の紺のバスローブを着ていて、片手にはスマホを持っている。
 一人がけっぽいソファに寝転がっていた男は起き上がって、こちらに近づいてくる。俺はどうやらジャケットを脱いでベッドに横たえられているらしいということに今更気づいて、慌てて上半身を起こした。
「おにーさん、気分は大丈夫ですか? まだ吐きそう?」
 ペットボトルを差し出してくる男。吊り目で、二重幅が広い派手な顔立ちをしている。濃い睫毛に縁取られた瞳はカラーコンタクトをしているのか、金色っぽくてまるで宝石を嵌めたように大きく、猫を連想させた。節と筋が目立つ手はここに来る前に見たものと同じで、あの時俺に声をかけたのはこの男だったのかと、頭の中で線が結ばれる。
「えっと……大丈夫です。頭は痛いけど……」
 ラベルレスのミネラルウォーターを受け取りながらそう言うと、男は細くてふわふわの髪を揺らして笑った。
「おにーさん、俺にゲロぶっかけて倒れちゃったんですよ。そんで、勝手にホテル連れて来ちゃいました。救急車呼ぼうかなとも思ったんですけど、寝てるだけっぽいし、服洗濯したかったし」
 薄い唇からすらすらと説明された状況に、ワンテンポ遅れて理解が追いつく。血の気がさあっと引いて体温が一瞬で下がった心地になり、俺はペットボトルを放り出してベッドの上で土下座の姿勢を取った。
「本当にすみません!!」
「あは、まあ俺も仕事休んでいいってことになったし、無事に生きててくれたんでいーですよ。今は俺の服洗濯してます」
「せめてホテル代は出します。クリーニング代も後日改めて……本当にすみませんでした!」
 吐瀉物をかけるという、普通に警察沙汰になりかねない最悪の狼藉を働いてしまったにもかかわらず、この人は怒るどころか俺を介抱して休憩できる場所まで連れて来てくれたという。頭が上がらないどころではなく、俺はベッドのシーツに額を擦り付ける勢いで何度も謝罪を繰り返した。
 幾度目かのやり取りの後、男は「じゃあ、」とスマホを向けてくる。
「ホテル代とクリーニング代はもらいたいんで、連絡先と名前教えてもらっても?」
「もちろんです……!」
 俺はサイドテーブルに置かれた(彼が俺の荷物をまとめてくれたのだろう)仕事用の黒のバックパックからスマホを取り出し、もたもたとメッセージアプリを起動する。画面に表示された時刻は終電を過ぎた時間だった。
「佐上です、佐上倫人みちひとです」
 名刺を交換する時みたいにぺこぺこ頭を下げながらQRコードを表示させたスマホを差し出す。
「あざす。俺はともるです」
 連絡先を交換し終えて少しの間、俺は男——灯くんと簡単にお互いのことを話し合った。会話の途中で勧められて先ほど手渡されたミネラルウォーターで喉を潤す。
 灯くんは俺より三つ年下の二十四歳で、やはりというか何というべきかこの繁華街にある店でホストのお仕事をしているらしい。
「うわ、俺、仕事着を汚してしまったんじゃ……ほ、本当にごめんなさい!」
 そういえば靴もブランドものだったことを思い出す。
「大丈夫ですよ。俺、いてもいなくても変わらないくらいなんで」
 と灯くんは言うが、罪悪感はまったく拭えない。
 俺ばかりがベッドを占領していることも居心地が悪く、そわそわとした様子を隠せないでいると、灯くんは笑って冷蔵庫から備え付けのビールを取り出した。
「始発まで寝てていーですよ。俺も好きに過ごすんで」
 本当に気にしていないように、ソファでスマホを見ながらビールを飲み始めたので、俺は「じゃあ、シャワーに……」と言ってベッドから降りた。
 着替えがバスローブなのは若干恥ずかしかったが、スーツからは数時間前にいた居酒屋の匂いが移っていてまた気持ち悪くなりそうだったので、大人しく灯くんが着ているものと同じものを持ってバスルームに向かう。替えの下着はないが、汗を流せるだけありがたいと思う。
 バスルームはやけに広々としており、ユニットバスではなかった。しかもジャグジーになっていて、湯船には真っ赤な薔薇の花びらが浮かんでいて……。
「と、灯くん!」
 シャワーを浴びた俺は着用を躊躇っていたバスローブ姿なのも構わず速攻で部屋に戻った。
「はいはい、どうしましたー?」
「ここラブホじゃないか!」
 部屋の照明が薄暗く気づかなかったが、よく見たらベッドも大きいサイズのが一つしかないしなんかネオンの間接照明がある。ブラウン系で揃えられた家具は一見大人しいが、いやらしい紫に照らされている。灯くんはどたどたと足音を立ててバスルームから帰ってきた俺に、スマホから顔を上げてなんでもないことのように言った。
「立地的に選択肢なかったんすもん」
「いやそうなのはわかるけどっ……会社の人に見られてたら俺、やばいよ……!」
 退社後に泥酔して粗相をした挙句、そのまま繁華街でラブホに入っていく姿などをもし見られていたら、注意どころじゃ済まないかもしれない。再び青くなりながら最悪の事態を想定していると、灯くんはけろりと言ってのけた。
「ゲロ吐いて倒れた倫人さんが悪い」
「それはそう! ごめん!」
 正論にがっくりと膝をつきそうになる。
 灯くんはこんなに気が利くのに俺は大人気ない……。再び土下座しそうな俺に灯くんは大きな目を細めて笑って、スマホを置いて近づいてくる。
「いいじゃないですかぁ、そーゆーことするだけがラブホじゃないっすよ。慣れてないんですか?」
「慣れてないよ……」
「ははっ。……あー、それとも……」
 目の前までつかつかと歩いてきた灯くんの足取りは止まず、思わず一、二歩後ずさると、逃げないように引き寄せられた。
「ひえっ」
 腰を抱かれて変な声が出る。至近距離の灯くんは顔面の圧……のような、美形のパワーが強い。ピンクの猫っ毛の隙間からまっすぐ見つめられると緊張した。
「既成事実とかー、作っちゃいます?」
 細い人差し指がつつ、と背中をなぞって鳥肌が立ちそうになる。
 そんなエロ漫画みたいな台詞にも俺は興奮してしまうのを隠せなかった。鼓動が速くなる。
「あれ、期待してる……」
 意外そうに呟く灯くん。
 ぶっちゃけ、灯くんはすごくタイプだった。冴えないサラリーマンの自分とはまるで違う世界の住人のように派手な灯くんだけど、その声がすごくタイプだったのだ。少し掠れて、とびきり甘い声。
「うう……」
 俺は顔が熱くなるのを感じながら俯いた。同じ紺色のバスローブを着ている状況にも、脳が勘違いをしてしまいそうだ。
「倫人さんって、ゲイ? それともパンセクとか?」
 その声で名前を呼ばれるとむずがゆい気持ちになって胸がざわざわする。
「う、うん……ゲイ、かな」
「じゃあ、同じですね」
 自分の過失から始まった出会いなのに、こんなに思い通りにいくことが、あるんだろうか。夢見心地で、頭痛はもうとうにどこかにいってしまった。
 灯くんが頭を傾げて、視界が彼を構成する色でいっぱいになる。嘘っぽいピンクと嘘っぽい金色。
 唇にふに、とぬるいものが触れて、とろけるような頭でやっと考えていたことが霧散していく。反応を確かめるようにしていた灯くんがもう一度顔を近づけて、今度は舌先が唇をなぞる。薄く口を開いて迎え入れると息を漏らすように灯くんが笑って、その隙につけ入るように侵入してくる。上顎の手前の方を無遠慮にくすぐられると気持ちよくて、膝が笑った。
「ん……む、ぅ……」
「ふ……倫人さん、舌出して……」
 言われるがままにした。灯くんは「えろ……」と小さく呟くと、俺の火照った顔に手を添えて、突き出した舌を彼のそれで舐り始める。苦いビールの味がした、さっきまで彼が飲んでいた味だ。俺も彼の動きについていくように必死になって絡める。舌だけで犯されているような動きに、むらむらした気持ちで頭がいっぱいになる。熱い。
 腰に回された手が、尾骶骨のあたりをゆっくり上下している。布越しに、肌に触れるか触れないかのところで撫でさすられると産毛が逆立つように気持ちよく、俺はついに灯くんに縋るように身体を預けた。
 顔を離して、ぎゅっと抱きしめられる。雲の上を歩いているような気分だ。耳元で、喋る時より幾分低いくつくつ笑う声がして、また声にならない声を上げそうになる。
「めちゃくちゃ期待するじゃん」
 自分のはやる気持ちを見抜かれて、わからせるみたいに囁かれると、それだけでかなり勃起しそうなくらいだ。灯くんは俺の手を握って部屋の中心にある大きなベッドまで導く。
 ベッドに隣り合って腰かけて、再びキスをする。触れ合い、角度を変えて繰り返すだけの口づけをしながら、灯くんが俺のバスローブの合わせ目を緩めた。彼が積極的になってくれるのが嬉しく、俺は身を委ねていた。
 首元から鎖骨にかけてそっとなぞられる。くすぐったくて吐息がこぼれる。そのまま隙間から指が入ってきて、乳輪を引っかいていく。
「っ、」
「乳首感じますか?」
 首肯するとそこへの刺激が続く。繰り返し撫でられると中心が芯を持って、立ち上がったそこを強めに摘まれて「あ、」と声が出た。左右の乳首を爪の先で連続的に上下に擦られると腰の中心に甘い疼きが生まれて、頭の先をもたげていく。ベッドのスプリングがぎしりと軋んで音を立てた。
 俺も、と顔を上げると、目が合った灯くんは不敵に微笑んだ。
「口でしてほしいんだけど」
 我慢できないような表情の灯くんにあてられて、俺は頷いた。
 フェラの経験はなかったのに勢い任せにそうしてしまったから、彼がアメニティのゴムを取り出して装着している間、ずっと胸がばくばくしている。
「いーですか?」
 パンツを脱いで、胡座をかくようにベッドの上に座る灯くんの脚の間にへたり込む。薄いゴムが被せられた灯くんのものは天を向いていて、俺のより大きい。口に入り切るだろうか。
 根元に手を添えて、先端を思い切って口に含む。安っぽいゴムくささに一瞬腹の底がぞわりとしたが、無視して咥える。
「うぁ……」
 灯くんが甘い息を漏らして、嬉しくなった俺は息継ぎをしながら少しずつ、吸ったり舐めたり、添えた左手を上下に動かしたりを繰り返した。最中の表情を見られているのは恥ずかしかったけど、舌を小刻みに動かしながら亀頭とカリを往復してみる。ゴム越しに形をなぞるように軽く窄めた唇で丁寧に扱くと、灯くんが気持ちよさそうに反応する。
「ん……〜〜、っ……♡」
 彼が快感に耐えて上げる唸るような声がますますタイプで、俺は胸をきゅんきゅんさせながら頭を動かしていた。
 半分以上は口に含んでいるだろうか、顎が少し疲れてきた頃、灯くんが急くように息を漏らして「ねぇ、」と言った。俺は動きを止めて見上げると、浅い呼吸をしている灯くんと目が合う。興奮で潤んだ熱っぽい金色の瞳に射抜かれて、また全身がぶるりと震えた。
「やりたいことあるんだけどやっていい?」
 熱に浮かされてばかになっている俺はその内容も聞かないままこくこくと頷いた。灯くんは嬉しそうに笑い、目をぎらつかせると俺の髪に指を差し入れて撫でた。あ、嬉しい……♡
 そのまま手で頭を固定して、灯くんは狭い俺の口腔に腰を押し進めた。
「んぐっ……!?」
 喉の奥を灯くんのちんぽが無理矢理こじ開けていく。上の方を押されて一気に嘔吐きそうになる。が、それに目を白黒させているうちに灯くんは腰を引いて、唾液が絡まったちんぽは肉をずるりと擦って出ていく。
 そして再び押し込まれる。俺は抵抗することもできないまま喉を好き勝手に使われていた。
「ん、ぐ、ぅ、うえっ、っ、〜〜!!」
「あー、めっちゃぎゅうぎゅう……♡」
 灯くんはほんとに楽しそうに声を上げる。俺は土下座するような姿勢でただ苦しさに喘ぐことしかできない。
 苦しい、喉、絞められてるみたいに苦しいっ♡ これ、完全にイラマされてるっ♡
 オナホにするみたいにがつがつと腰を振る灯くんの速度は徐々に上がって、俺の喉は異物を押し返そうと生理的な痙攣をするのに必死だ。呼吸もままならなくて全身がばたばたと暴れる。
「ふぅっ、っ、ふ……あ〜〜……♡ イイっ……♡」
 俺のことは完全に無視して一人でよくなっている灯くんの快感に浸る声が耳を上滑っていく。さっきまではあんなに夢中だった彼の甘い声も、今は脳内の危険信号がうるさくてわからない。
 そして繰り返される激しい暴虐とゴムの匂いと数時間前の酒の名残で限界が来てしまった。
「おえ、ひっ、げぇっ、」
 やっとの思いでちんぽから口を離して喘ぐ。幸い胃液までは出なかったが、粘着質で濁った唾液が糸を引いてぼたぼたとシーツに垂れた。顎まで濡れて、涙も出て、俺は目をぎゅうっとつむって嘔吐きと咳き込みを繰り返した。
「げほ、う、おえぇっ、げほっ、〜〜っ」
「はは、倫人さん、かわい……♡」
 みっともない姿でしゃくりあげる俺を、灯くんは愛おしいものでも眺めるように見つめながら、イラマで昂ったちんぽを右手で扱いている。
「はあ、いく、イくイくっ……ハァっ、は、……っ♡」
 必死で息を吸う俺と、絶頂に向かって浅く息を吐き出す彼の、本能的な呼吸音が重なり合う。視界の端で腰を突き出した彼が全身を強張らせて、一際大きく喉を引き絞るような声が聞こえた。
「あ゛〜〜っ……♡ 出てるっ……♡」
 涙目で嘔吐く俺をオカズにして、イった。
 顔を上げる。脚を投げ出して、満足げに射精の余韻に耽溺している灯くんは、笑っていた。
「わ、わざとじゃないよね……」
 俺はぬるつく口元を手の甲で拭って、震える声で問う。
 酷いことをされたのに、無害であることを示すためにへらりと笑いながら、乞うように問う俺は惨めだった。
「わざと? ふふ、わざとだったらどうします?」
 何がおかしいのか含むように笑いながら、膝立ちで膨らんだゴムを見せつけるように外す灯くん。
 ゴムを片付けて、近づいてきた彼の手が俺の頬に添えられる。彼の親指が唇の端を擦って、唾液を塗り広げるみたいにする。視線が合って、無理矢理上げた口角がひくつく。きゅ、と綺麗な三日月に目を細めた灯くんは嬉しそうに言った。
「俺、吐いてる人見るの好きなんです♡ 無理矢理しちゃってごめんなさい♡」
 があんと、目の前が暗くなるような気がする。
 ワンナイトした男は、嘔吐フェチの要警戒人物だった。